2020年04月16日
最先端技術
研究員
清水 康隆
2019年末に親族が集まった際、9歳と5歳の甥(おい)がタブレット端末を巧みに操る姿に圧倒された。お気に入りの「ブロック積みゲーム」を立ち上げると、左右の手でそれぞれ別の操作をしながら、目にも止まらぬ速さでブロックを積んでいく。画面上であっという間に「家」を作り上げてしまい、舌を巻くしかなかった。
タブレットを使いこなす子ども(写真)筆者
現代の子どもは物心ついた時から、インターネットにつながったスマホ・タブレットに囲まれて育ち、「デジタルネイティブ」と呼ばれる。30代の筆者が幼児期に積み木や画用紙を使った遊びは今、どんどんデジタル機器に置き換わっている。
そして2020年4月以降、小学校で「プログラミング教育」が必修になる。タブレットを器用に使いこなす甥にとっては、筆者世代の「図工」や「音楽」と同じぐらい、当たり前の授業になる。
それにしても、なぜ小学生のうちからプログラミングを学ぶ必要が出てきたのか。極端にもみえる試みの背景には、日本で人工知能(AI)やデータサイエンスに取り組む人材が不足しているという、政府の危機感がある。
「モノづくり」で世界をリードしてきた日本の産業界が曲がり角を迎え、急速に進むデジタル化の流れにうまく乗れていない。つまりモノとモノを擦り合わせながら、良い製品を安価に大量に生産してきた日本製造業のお家芸は、相対的に価値が低下しつつあるのだ。
なぜなら自動車や家電などあらゆる機器はネットにつながり、AIで動く時代が本格的に到来するからだ。あらゆるモノを結び付けるネットワークを構築するには、プログラミングのスキルが不可欠。ところが日本では、こうした分野で活躍する人材が米国や中国に比べて圧倒的に少ない。2019年に経済産業省が発表した推計によると、国内のIT人材は2025年では約36万人、2030年には約45万人も不足するという。
実際、GAFAと呼ばれる米国の巨大IT企業や、中国のネット通販アリババ集団などと比較すると、日本の大企業は存在感が小さい。高い国際競争力を維持してきた自動車産業でさえ、AIを搭載した自動運転車や電気自動車(EV)が主流になると、勢力図が一変しかねない。IT人材をどれだけ抱えるかが、企業の命運を左右する時代になるからだ。
一方、政府の産業競争力会議は2013年6月の提言に「ハイレベルな IT人材の育成・確保」を目的としてプログラミング教育の導入を盛り込み、2016年に必修化の方針を打ち出した。海外では、小学校(=初等教育)のプログラミング教育を重視。文部科学省の2014年度の資料によると、ICT(情報通信技術)教育やコンピューターサイエンス教育の一環として、英国やハンガリー、ロシアは必修にしているという。
文科省の改訂学習指導要領によると、プログラミング教育の狙いは①プログラミング的思考を学ぶ②コンピューターが身近に使われ、どのように役立っているかを知る③プログラミングを活用し、各教科の学びを深める--の3つ。特定のプログラミング言語を覚え、使いこなすことが狙いではない。ではどんな授業をするのか。
実は、文科省からは明確な内容が示されていない。指導要領の趣旨を踏まえ、現場の学校や先生が何をするのか考えるのだ。同省などはそのヒントを与える場として「プログラミング教育ポータル」を制作、次のような指導例を掲載する。
例えば、小学5年で習う算数の「多角形」では、「1辺が20センチの正三角形をコンピューターに描かせるにはどんな命令を出せばよいか」という問題がある。
正答例の手順は、①子どもが「ペンを下ろす」という命令をコンピューターに与える②「20センチ線を引く」「左に120度回す」という2つをセットにして命令を下す③それを3回繰り返す。このように「プログラミング思考」とは、コンピューターに仕事をさせる時、命令の組み合わせを論理的に考えることを指す。
(出所)筆者
なお、これを実際にコンピューター上で実行する場合、必ずしもキーボードで命令を打ち込むわけではない。タブレットの画面上で専用アプリを立ち上げ、「20センチ線を引く」といった命令を受ける「ブロック」を積み上げるだけでよい。筆者の甥が遊んでいたゲームのように、必要なブロックを選んで正しい順序で積み上げれば、自動的に正三角形が描かれるのだ。
確かに子どもには面白そうな内容だが、こうした授業を実践する教育現場には大きな負担だろう。ただでさえ日本の教員の労働時間は長い。経済協力開発機構(OECD)が公表した2018年の小学校教員の勤務時間は、調査対象15カ国の中で日本が最長(週平均54.4時間)。しかも時期を同じくして、小学校では英語教育も必修になる。
デジタル化の流れはだれも止められず、今後も加速していく。今の子どもが社会に出た時、AIに使われるのではなく、使いこなせる人材に育ってほしい。そのためにはプログラミングのような新しい教育は重要だと思う。だからこそ、子どもが「プログラミング嫌い」にならないよう、学校や先生には楽しい授業を考えてほしい。
真下 紗枝氏(ましも・さえ)
(株)CA Tech Kids社長室企画広報グループ。同社は2013年からプログラミング教育事業に取り組み、その啓蒙活動を全国的に展開するとともに政府への提言も。プログラミングを使って子どもが課題解決をできるよう、教室を長年開催。
(写真)筆者 RICOH GRⅢ
―プログラミングを教える目的は?
必ずしもプログラマーの育成が目的ではありません。プログラミングは夢を実現する上で有効な武器だと考えています。プログラムを書ければ自分のアイデアを形にし、社会に働き掛け、変革をもたらすことができるからです。例えば、アスリートのトレーナーを目指している子どもが、プログラミングを学ぶ中で「データ分析の技術が将来役に立ちそうだ」と気付いたこともあります。
―具体的にどんな教育をするのですか。
まずはプログラミングを楽しむこと、慣れ親しむことを重視します。その後、自分の手の届く範囲の課題や夢を、プログラミングによって実現できたという体験が大切です。例えば、祖父から「ゴルフのスコアを数えるのが大変だ」と聞き、スコアを数えるアプリを作った子がいます。健康状態の記録アプリを作った子は、母親が兄弟を病院に連れていくのを見て開発しました。大人が思う以上に学習スピードが速く、発想力も豊かです。
―必修化が決まって変わったことは?
プログラミングへの保護者の認知度が上がりました。2013年の会社設立当初は「小学生にプログラミング?」という反応でしたが、最近は「自分の子どもに教えたい」という人が増えています。すべての子どもがプログラミングに触れる機会を持つと、IT業界にとっては大きな一歩になります。
清水 康隆